ねじまき鳥クロニクル

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この小説を初めて読んだのは、たしか高校生の時でした。
生きたまま皮を剥がれるシーンに恐怖して、途中から読めなくなってしまった。
最近になって、やっと意を決して読むことが出来ました。

今まで村上春樹の作品には「表現が面白い」「孤独で暗い雰囲気に惹かれる」といった感想を
もっていたけど、今回ねじまき鳥を読んで、初めて村上春樹を「凄い」と思った。
簡単に言葉では言い表せないような「凄さ」を感じました。

一見、戦争や暴力を大々的に取り上げているようだけれど、それらは単に一つの例に過ぎないのだと思う。
世の中の全ての人が共有している現実と、各々独自の現実というものとの境界線。
その境界線の曖昧さのようなものが、この作品の最大のテーマだと私は思う。
だからこそ、真っ暗な井戸の底で自分の意識と暗闇との境界をうまく掴めない主人公を
描く必要があるのであり、間宮中尉の口から語られる「ある現実」としての戦争の残虐さが
必要だったのではないだろうか。

それに対して、笹原メイの存在は「世の中の全ての人が共有している現実」というものの象徴だった。
笹原メイの「現実」は、手紙という形で描かれることで「僕」の中で進行する現実との差を強調する。
そしてその手紙は届かない。井戸の中でメイという現実に向かって叫ぶ「僕」。
最後のシーンで「何かがあったら大きな声で私を呼びなさいね。」と笹原メイが言う。
バラバラになり、取り留めのなくなった「境界線」を必死で一つにまとめ上げる。

私は、ここで語られる「境界線の曖昧さ」にとても大きな恐怖を覚える。
生きたまま皮を剥ぐという残虐な行為そのものよりも、むしろその世界と「私」というものとの曖昧さに。

「想像することは命取りになるのだよ」と皮剥ぎボリスは言う。
この作品の中では、まさにその通りなのだろう。

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ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)  
村上 春樹 (著)


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